教師の言葉遣い
豊かな人間性を表現する「教える者に必要な言葉づかい」 山浦 秀男
今日ほど教育が重要な課題として取り上げられ、しかもその改革が広範多義にわたり、各界、各層から長期に及んで取り上げられた時代も少ないのではないでしょうか。
あえて類似の例を挙げますと、明治維新の時、そして、敗戦によって廃墟化したあの戦後の改革の時期です。
いつの時代でも教育は国家社会存立の基盤であり、個人・家庭健在の根幹です。ですから、古今東西の優れた指導者は、「国づくりの基は人づくり、人づくりの基は教育にある。だから教育は国家社会にとって一番大事だ。」という不易の共通認識があります。
「教育こそ人間社会の存立基盤である。」という認識の源流は古く歴史を遡ります。
「学校」、「教育」という言葉は孟子に遡りますが、孟子には、大変有名な「君子に三楽あり」という所論があります。君子の人生の喜びの対象を3つあげたものですが、その極めつけは「天下の英才を教育するは三楽なり」(最高のものは教育だ)、教育がいかに大事かという所論であり、この認識は連綿として続いたといえます。
日本でも、優れた指導者は、おしなべてこの流れに立っています。
例えば、米沢藩の上杉鷹山、そしてその師であった細井平洲という教育者、そして財政難の中建てられた藩校の興譲館。財政状況が逼迫してどうにもならなくなった時に、それを救うのは結局人づくりと教育しかない。極限状態の中で、教育という営みが、国家社会にとっても個人、家庭とっても、いかに大事であるかということの類例として挙げられます。
明治維新の時も戦後も、大変大きな教育改革が進められたのですが、財政的にも政治的にも、極めて厳しい時期でした。
教育改革国民会議の報告書にも、自分に言い聞かせるような言い方で「道は厳しい、しかし、厳しくなかった道はどこにもなかった。」とありますが、そのとおりです。
教育改革が成功し、うまくいったのは、極端に厳しい時代であったとも言えます。
今、日本は新型コロナウイルスの感染拡大の影響やアメリカの関税引き上げなどもあり、経済的にも行き詰まり、教育はどうしたらいいか、何とかしなければいけないという危機感が、国民的な合意、ナショナル・コンセンサスを得た時、この国は大丈夫だと歴史が我々を勇気づけてくれるのではないでしょうか。
教育はあらゆる社会活動の基盤となるものと同時に、社会の在り方をそのまま、教育の成果として子どもたちに反映します。
実に子どもたちの姿は、その社会を如実に映す鏡であります。
この意味で教育問題の中でも、「不登校」は、とりもなおさず社会問題であると言えると思います。
ですから「不登校の問題」は、常に社会全体に支えてもらわなければいけませんし、不登校などの教育問題などを改革するときにも社会全体で取り組んでいかなければなりません。
「不登校の問題」は待ったなしの課題です。ぜひ、先生方、プレイング・マネージャーとして、教育はこの世で一番大切な営みであるという認識をもって、この困難も苦労も克服していただきたい。
豊かな人間性を表現する「教える者に必要な言葉づかい」
過日小学校一年生の研究授業を参観しました。児童は研究授業ということでどの児童も少し畏まっているようです。先生が、日直に授業開始の挨拶をするよう指示をしました。日直の児童が、大きな声で「こォれからァ~、4じかんめのォ~おべんきょうォウォ~、はァじめまァ~すゥ」と言うと、他の子が続きます。「はァじィめェまァすゥ」文字にするとなんとも難しいのですが、雰囲気はご理解いただけたでしょうか。日常の会話と異なった、語尾が間延びしたリズムで、語尾に不自然なアクセントが加わった教室独特のインターネーションの挨拶が交わされたのです。
授業でも「おォじィさんがァ~、かぶのたねをォ~、まきィましたァ~」「あァ~まァ~いィ~、あァ~まァ~いィ~」というような音読がなされ、指導する先生はそれが一年生らしいと勘違いをしているのではないでしょうか。先生には一年生だから、ゆっくり丁寧に話さなくてはいけないという意識があるからでしょうか。
このように同じようなリズム、アクセントやイントネーションの挨拶や授業が、高学年の学級で交わされたらどうでしょう。さらに強い違和感を抱くのではないでしょうか。
正しく美しい日本語という視点からすると、首を傾げざるを得ません。
一方他県の一年生の教室では、「これから、3時間目の学習を始めます」「始めます」と日本語として違和感のない挨拶を交わす学級や授業を参観したことがあります。小学校一年生だからこそ、正しく美しい日本語で音読させる指導が大切なのです。
子どもたちは自分に向けられる言葉を「言葉の宝物」として無意識に蓄積していき、使っています。子どもたちは担任の先生の言葉や表現、考え方まで似てくるのです。つまり、一日中一緒に過ごし、目の前にいる先生は子どもたちにとっての言葉を育てる、心を育む人的環境としての大きな存在なのです。
こんな諺があります。
「霧に入れば、覚えずして衣染みいる。善き人に近づけば、覚えずして、善き人に同化する」。
ここで言う善き人とは、教師のことです。教師の教養と品のある言葉遣いで、子どもたちの言語環境を整えたいものです。そうでなければ、同化などいつまでたってもできようがありません。