教職は、日々変化する子どもの教育に携わり、子どもの可能性を開く創造的な職業です。このため、教員には、常に研究と修養に努め、専門性の向上を図ることが求められています。
教員を取り巻く社会状況が大きく変化し、学校教育が抱える課題も複雑・多様化しています。教員には、不断に最新の専門的知識や指導技術等を身に付けていくことがこれまで以上に強く求められています。このような時、教員に求められている「運・鈍・根」、「仏様のような存在の教師」について考えてみたいと思います。
「運・鈍・根」の3つの勧め
大学等の研究者のなかでは「運・鈍・根」という言葉を使うそうです。ご存じない人のために、簡単に説明します。
「運」は、指導者や研究テーマなど新たな発見に恵まれる幸運として。「鈍」は、研究の先行きに「鈍感」「楽観的」でいられることの大切さとして。「根」は、粘り強く研究に取り組む根気として使われているという。これまで歴史に名を刻んだ研究者は例外なく、これらの資質を兼ね備えていると言われています。「運・鈍・根」は成功する研究者人生のキーワードとして使われているのです。
「運」
私は、「運・鈍・根」を次のように解釈しています。
まず、「運」です。皆さんは運がいい。なんといっても、皆さんは一生をかけて打ち込む価値のある教員という職を目指しているのですから。運がいいというのはそういう意味です。自分が好きだから選んだのだと胸を張れるものに,皆さんはすでに出会っています。
好きであることに理屈はいらない「好きこそものの上手なれ」ということわざがありますが、好きだから寝食を忘れて打ち込める長い一生を,好きなことのために費やせる人と,そうでない人がいたら,前者の方が成果も上げるし,満足度も高いからです。
孔子※1の言葉に「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」とあります。平たくしてみると、「ただ知っているより好きなほうが強い。ただ好きなだけより楽しめるほうが強い。」と言うことになります。
「鈍」
次に、「鈍」です。「鈍」とは鈍感の「鈍」です。つまり愚直です。愚直とは、愚かなほどに正直なことです。周囲から愚かに見られるほど、自分の信念に忠実に行動することです。優れた能力を持つ人が、周囲の目には愚かに映るというのは、他人の評価や社会の流行を安易に受け入れることをせず、あくまで自らの信念に則って行動するからです。
外部からの声に従うのではなく、自らの信念に従って行動する人間が、私の思い描く愚直な人です。愚直な人の信念は、確実な根拠に基づいて考え抜かれたものであり、それゆえに単なる流行に付和雷同することはありません。しかし、自分よりも優れた見解に出会ったときは、それまでの見解を素直に変更する決断力を持っています。実は、こうした愚直な人間こそ、私が長年理想としている教員の姿勢なのです。
愚直な教員であり続けることは、たやすいことではありません。そのことを前提としたうえで、それでも私は皆さんに、心のどこかに、愚直な教員を理想とする自覚を持ちつづけて頂きたいと願っています。
「根」
さらに「根」ですが、ものごとに耐える「気力」「根気」です。継続する事ということは、頑張れば誰にでもできることです。しかし、同じことを続けるということは、誰にでもできることではありません。それほど苦しいことなのです。どれほど継続することが大切なのかということは、続けた人の方がよく知っているのです。プロになるには何かを継続していかなければ絶対にプロになることは出来ないし、プロで居続けることはできないのです。
希望に燃えた新採用教員の中で、正式採用を待たずに退職していく教員数が近年増加傾向にあります。稲盛 和夫※2氏は、「継続は力なり、粘って、粘って、何度もチャレンジしないと何ごとも成功しない」と言っています。夢を叶えるためには、目標に向かって諦めず、コツコツと継続していくことが何よりも大事なことです。
※1「孔子」・・・春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。孔子の言葉に「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(論語新釈講談社学術文庫)
※2「稲盛和夫」・・・京セラ・KDDIの創業者「夢を叶える名言集」継続・積み重ね
求められている「仏様の指のような存在の教師」
大村はま※3著「教えるということ」(共文社)を読んだことがあるでしょうか。私は、教員となった3年目にこの本と出会い、「仏様の指」は今でも我が師としています。
戦時中、大村はま先生は、毎週木曜日、奥田正造先生の読書会に参加していました。「どうだ、大村さんは生徒に好かれているか」と尋ねられ、いろいろと考えて「嫌われてはいません」と変な返事をしてしまいました。そのとき、奥田先生は「そう遠慮しなくてもいい、きっと好かれているだろう。学校中に慕われているに違いない」と言って、次のように話し出したのです。
あるとき、仏様が道端に立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。
車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。
奥田先生はこのように話して「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ。」と話されました。
大村はま先生は「もしその仏様のお力によってその車が引きぬけたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。」と述べています。
また、大村はま先生は「仏様の指のような存在の教師でありたい。子どもたちが生きていく力、生きぬく力をつけ、自信に満ちて、勇ましく次の時代を背負って行ってくれたら、教師の仕事の成果はそこにある。」と書かれています。ところで、皆さんはどのような教員像をいだいていたのでしょうか。
※3「大村はま」・・・国語教育研究家。著作に「大村はま国語教室」「教えるということ」など。(明治39年6月2日生まれ。東京府立第八高女、戦後は深川一中など新制中学の国語教師をつとめる。52年間の国語教育から、大村単元学習として知られる授業方式を生みだした。その業績で昭和38年ペスタロッチ賞。平成17年4月17日死去。98歳。神奈川県出身。東京女子大卒。本名は浜。)